メディアは道具です。情報源ではない。

全力を出し続ける事が物理的に不可能なのは、みんな判っている。
寝る事が大事、とか、息抜きも大事、とか、スケールの違う表現なだけで、どうすべきは個々人で違う。
寝る事が大事な人もいれば、睡眠時間を削ってでも遊ぶ方が大事な人もいるわけで。
すわ効率化は文化障壁を超えて世界市民のための精神性、と思ったけど、効率化とは何ぞやが判ってないと無理だよな。しかも、それすら文化っていう。そして俺は効率化したくない。
つまり、日本人かつあのバブル期を見聞きした人間として、自分の精神性のもとになった文化を維持したい。
なぜかと言われると言葉にならない。嫌だとしか言いようがない。
精神や文化を理解する事は難しい。
そのくせ、メディアは、それを簡単であるように見せかける事が出来る。
極論を上位に持ってきたりする。もしくは、キーワードとして、それ以外を見いだせなくなったりする。
大学に通わなければものを教えない事が増上慢だというタイトルを見た。
もう極論の極みだ。前提がおかしくはないか?
精神や文化を理解するのは難しいのだ。だから手厚い対応が必要なのだ。かつ師は少ない。物理的に不可能なのだ。
それを技術は簡単にできるように見せる。そんなわけはない。
知識だけでは、精神と文化は伝わらないのだ。知識だけで伝わるならば、俺たちは子供をこんなにも長く庇護しなくて良い。
一例をあげれば、俺たちが弥生人のように生きられないように。彼らの生活を大変だったと思うように。
知識だけでは、精神と文化は理解できない。理解する方法論は判らん。しかし、理解できていない。
なぜなら、彼らは幸せであったのだから。そうでなければ、今へ歴史は繋がらないからだ。
戦国時代であれ、世界大戦の時であれ、世界全体で見れば、幸福と、希望があったのだ。