思ったことをつらつらと
食育
→ この言葉は何も定義がされていない。
→ およそ、30代付近より上の方達が継承した文化の一部と考えられる。
→ 理由は、食育と言われ、「ああ。アレね」と感覚で判る人たちと
「?」となる人たちがいるため。
→ 完全に予想でしかないが、核家族化が進み、家族そろっての食事の機会が
減少したことで、文化の継承断絶が起きた気がする。
→ 三角食べが教育現場で強制されていた時代があるようだ。
これは断絶のきっかけに十分なりえる。
三角食べが必要のない献立で三角食べを強制されても、なにも美味しくない。
→ たぶん、本来は、
1「何を、どう食べたら健康を維持できるか」
2「どのように食べたらおいしいか」
3「食事中に気をつける事」
の三つだったと考えられる。
→ その内、2と、1の中の「どう食べたら」が欠落したものと思われる。
→ 料理番組の中で、「これは体に良いんですよ」と料理と食べ合わせを
紹介される事はあっても、
「Aを咀嚼後、半分くらい嚥下するまたは嚥下できるようになったら汁物を飲み、
残った塩味で米の咀嚼を開始する」
という解説はいまだかつてない。解説しないという事は暗黙知であって、文化なのだと推測できる。
→ 文化の継承断裂が起きている事を想定していないので、法整備までしても、Q&Aサイトで「食育」について
質問が上がってくるものと思われる。
→ 健康促進法からすると、上記3点のうち、1の中の「どう食べたら」と2が重要な気がする。
→ 人間は、体に良いからと言って生の野菜を30種類も取れないし、一回のはしの動きで20回以上の咀嚼を続ける事は出来ない。
→ と言う事は、「どう食べるべきか」と言うメソッドが文化として存在していたはずで、その文化の継承断裂が問題になっていると考えた方が良い。
三角食べ
→ 絶対に、「和食を食べるときに飯と味噌汁とおかずを“順序よく食べる”方法のこと」などでは【 無い 】。
→ 今回の件で確信したが、「順序よく食べるべき」なのではなく、「順序よく食べないと美味しくない/後で空腹になる」からだ。
→ そもそも1回の食事量が少なかった時代から存在する文化なので、べき論が広がるはずが無い。
→ 提言した人間は、暗黙知を形式知としたつもりなのだろうが、完全に失敗した。
→ 自分が三角食べを再定義するとしたら、「咀嚼回数を可能な限り増加させるための食事方法」とする。
→ そして、そうして食べた方が絶対に「美味しい」。
→ 逆に、三角食べを必要とするメニューで無い限り、これを実行する必要性は無い。
むしろ、主食の消費ペースとおかずの消費ペースを揃えるように食せば十分と思える。
→ 一汁一菜とは、主食、汁物、漬物、おかずと定義されているが、実質的には、おかず抜きの、主食、汁物、漬物であった。
とすると、漬物は野菜であるため、十分に咀嚼しないとならない物だった可能性が高い。
※ 一定年齢以上の文化人が漬物を食べる時の擬音を言うと、「バリバリ」「ポリポリ」と硬いものをかみ砕く擬音を提示するため
→ 主食が雑穀だとすると、米よりも甘みか旨みが足らず、漬物か汁物の塩味で消費する事となる。
→ 漬物が硬いなら、最初に漬物を咀嚼し、汁物で少し流し、主食を咀嚼する方が、咀嚼回数が増え満腹感を得られ、かつ、
甘みか旨みの足らない主食に適度な塩味を加味でき、「美味しく食べられる」。
つまり、単純に口内調理をした方が、咀嚼回数が増えたり、主食の味に変化を持たせて食べやすくしたりする「方法論」だったと考えられる。
→ 少量の食事で満腹感を得て、さらに美味しく食べようとすると、
硬いもの → 汁物 → 主食
もしくは、
味の薄いもの → 味の濃いもの → 主食
となる。
→ これが三角食べの本意で会ったと考えられる。
→ よって、洋食であっても、バケットなど硬い食材があるならば、三角食べを適用できる