PS4発売をお祝い申し上げます

これからもがんばって、インタラクティブなおもちゃであり続けてください。

より共有させたいのであれば、ライトユーザーなどへの河童とばかりに、集合知を用いなければクリアできないようにし、
一撃の販売数ではなく、「常時稼働数」を考えるべき。
つまり、購入して貰いながらも、インカムと言う考えを持たせる。
もしくは、1プレイ50円など、駄菓子屋ゲーセン的な価格帯で遊ばせるべき。
なのだが。
ここには根本的な問題があり、単純にクソ難しいゲームは、背後に人がいなければ、やる気が起きないのだよ、人間。

サイバーコマンドーの神々の輪に居た私でありますが、あの神殿にコインを入れるのは、知らないか、恋人でありました。
恋人たちをあざ笑うように虐殺したのはほほえましい思い出です。
つまり、恋人に良い所見せてやんぜ、くらいのモチベーションが無いと、やらないのですよ、ムズイゲームは。
そこが分水嶺であるように思えました。

なので、ムズイゲームはコンシューマーではこれ以上発展しえない。なぜなら、一人だから。
ゲームをするために集まると言う文化は、CRPGの大台頭により、廃れました。
ゲームは、集まってから、するものです。ゲームのためには集まらない。
すると、人の目が無い所でゲームをすることとなり、オナニー以外何物でも無くなります。

そんなものに、経済は指を向けません。

よって、インタラクティブなおもちゃを量産し、子供たちをだますしかなく、どうせだまされるならより高精度なものに騙されたい子どもたちは、別のものや、難易度の高い騙しを求めて他の方面に行ってしまいます。

極論、ソニーコンピューターエンタテインメントは、エンタテインメントできていないので、とっとと事業を停止するか、エンタテインメントするための技術開発部門になればいいと思うよ。

奇麗な映像だからこそ成り立つゲームは、絶対に存在しえない。
なぜなら、そもそもゲームは映像という要素を持っていなかったから。
奇麗な映像だからこそ成り立つゲームではなく、「現実世界と変わらぬ演算ができるからこそ成り立つゲーム」は存在しえる。
そこに向かって、PCのグラフィックエンジンは進化した。任天堂は、人間の技を信じた。
だが、ソニーも、セガも、虚偽の世界を提案した。ポリゴンの世界は、確かに美麗に見え、あたかも現実のように見えるが、現実ではない。処理速度は向上したが、嘘の度合いは高まったし、高度化しただけだ。

本質的に、ゲームとしての進化はなされていない。
触れなかったものが触れるようになったり、できなかった事ができるようになっていない。
鉄騎が、コンシューマーで出現した事も、たぶん、文化としてコンピューターゲームが死んだことを示唆している。

ものすごく、怨嗟の念しか出てこない。
それをPS4発売のお祝いの言葉とさせていただきます。