記者の能力が下がってるのか?

http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1301/15/news022.html

孫子の寵姫を断罪するエピソードとは、法の概念の徹底だ。そして感情では孫子を否定する王と、実務から結局雇用する王の立場を示すものだ。
これを信賞必罰と言う。
罰を、公開処刑と言う言葉が持つイメージで貶めるのは、間違っている。
罰として肉体に痛みを与えたのだから、体罰という言葉を使うのは間違ってはいない。
桜宮高校の問題は、罰に値しないのに、指導者が罰を実施した事である。

文章全体はこの論旨と理解しているので、納得できる。しかし、このような文章では、受け手を馬鹿にしてはいないだろうか。そんなことはちゃんと情報を追ってきた人間には、解っていることだと思うがどうか?

軍隊式という表現も気に入らないが、単純に指導力の欠如した指導者による、安易な体制構築の結果、犠牲者が出たわけだ。その点に受け手は怒りを覚えているのだ。結果を出せなければ罰がある。そしてそれは見せしめとして実施される。恐怖による成果の要求が続いた結果どうなったかなんて、赤軍事件のレポートなんかで、みんなアホほど読んだろう?
マンガの方がさっくりわかるなら、イブニングのレッドでも読めばいい。

だから、今さら何を言っているんだ、と思わざるを得ない。
さらに、言論機関が「言葉」に手を抜いたと言うタイトルだが、それはあなたもそうじゃないのか?
言っている事はわかるんだ。共感できるし、そうだ、と思う。だが、手を抜いてないか、と言われれば、どうなんだ?

あと、世の中で、体罰教師狩りが始まることなんて、解りきっていた事で、それはまた別次元の問題だと思う。
躾ってものを、どうするか、だよね。

身に美で、しつけ、と読むのだから、什の掟でもやればいいと思うよ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%80_(%E4%BC%9A%E6%B4%A5%E8%97%A9)
言葉は違うが、家でやってる事と同じだよ。

アーすっきりした。